恋をすると痛みが伴う

当たり前に恋をしている彼女が、自分とはすごく遠い位置にいる。

 

 

彼氏と同棲している友人が、オーストラリアへ旅に出た。

日本を出てから数週間は、隣に彼がいない寂しに押しつぶされて何度も泣いたそう。

新しい土地、知らない人。自身のあった英語力がずたずたにされて、意思疎通が億劫だそう。

 

 

 

 

「いい年して…もうすぐアラサーに差し掛かる年齢のくせに」

 

 

 

 

彼女が涙を流したと報告するたびに、心の中で叫んだ。小さな声で。

 

 

今、恋人がいない私は彼から離れる寂しさに共感できない。

だって、ずっと一人だったし。いざという時に相談できる自分を愛してくれる異性なんていない。この環境になれた身としては、一体寂しさとはなんなんだろうかと自問自答するだけの時間が、勿体ないと思うくらいにゆったりと無駄に流れていく。

 

 

 

(同棲なんて、毎日顔を合わせるんだから飽きるんじゃない?)

 

 

 

1人の時間が大好きな自分からしたら、好きな人とずっと一緒なんて息が詰まってしまう。

 

そんな問いに、彼女は当たり前のように答えた。

 

 

 

 

「一緒にいることが自然だから。いなくなったら寂しいけど、近くにいても自分と同じタイミングで空気を吸っているだけで、窮屈じゃない」

 

 

 

 

窮屈じゃない

 

 

 

 

と、いう事は彼女にとって彼氏は、文字通り気持ちの良い物。

 

 

旅に出た瞬間に、今まで自分が身にまとっていた心地よさを手放したのだ。

 

居心地の良い部屋、通いなれた道、味を覚えるくらいに通っているパン屋、履きなれたジーンズ、ヒールが高くて歩きにくいけれどとっておきの日に履く勝負パンプス。

 

 

 

これが、自分の家を出た瞬間に。羽田の出国ゲートを通った瞬間にしばらくは触れられなくなる。当たり前だった人、場所、物。何かを手放したときに私たちは寂しさを少なからず感じるだろう。

 

心の底から大きなため息が出るように。

 

涙腺を通った涙が流れてたまるもんかと、目の中に小さな水たまりが出来上がるように。

 

 

当たり前のものがそばに無い寂しさは、ふとした時に心をかき乱す。

 

ゆっくりゆっくり、最初は感情の扉を開けるように。開けたら大きく渦を巻く。

愛しい物が思い浮かび、手元にない実感と何物かでは代用できない事実にショックを受ける。

 

 

 

 

 

私は、日本を離れてフィリピンに来るときに家から出ていく事が一番寂しかった。

 

母親でも無く、近所の美味しいうどん屋でもない。

20数年間、過ごした家。

自室がお気に入りで、とくに趣味も無いので汚すことも無く、ただただ部屋でぼーっと

していることが多かった。

 

 

 

 

違う場所に行くことは怖くはない。好奇心もあるし、新しい環境への適応力はそこそこあると思う。なのに、あの空間から離れる事だけは虚しさに包まれた。

 

 

家と、愛しの人を一緒にくくってごめんよ、友人。

 

 

でも今書いていて、彼女のいう寂しさがどんなものか、少し理解できた。

 

人間は、思い出と共に生きているのだから一朝一夕で気持ちの断捨離なんて出来やしない。

 

 

 

きっと彼女は今頃、インド洋に浮かぶ大きな島の片隅で、彼とのキスをセックスを思い出し寂しさに焦がれているんだろう。心を締め付ける感情は、出来るなら味わいたくない。けれど、彼の事を思って吐露するという姿は、恋愛期間で愛おしい一瞬だろう。

 

 

寂しさに少し共感できた今、次は家ではなく人で、愛おしい彼を思って味わってみたい。

 

 

当たり前に恋をしている彼女の気持ちを、私もそろそろ欲しいなと思い始めた。

 

どこにいても惑わされる、寂しさと愛おしさ、悪くないんじゃないかな。