青山




28歳になってやっと、この街に住居を構えることが出来た。

南青山3丁目、築13年のマンション、5階。

 

引っ越してきたのは昨日で、まだ荷物は解いていない。

新居到着後の疲れた体は、適当に引いたマットレスに乗せて一晩休ませた。



しばらく歩けば裕福な人々が暮らす界隈に馴染みようがない、この青山や広尾という住所に似つかわしくない建物ではあるが、由実はまた一つ、自分の夢が叶ったという記録をつけるため昔から愛用しているノートに「30歳までに、東京(出来れば中目黒や青山が住所にあってほしい)に住む」と書かれた隣の四角いチェックボックスに、一筆入れた。






半生以上を過ごした故郷の北海道から離れたくて、その想いだけが日々加速して糧となり勉強し続けた高校時代。


住宅地よりも空き地が広く、茶色の土や緑の芝は遠くを見つめても終わりがわからない。裏路地は職人や工作員のたまり場になっており湿っぽく、高層ビルが作り出す夜景など一切ない、自分は"東京"から一番遠く離れた場所に居るんだと思っていた。


憧れていた第一志望である東京の大学に入学が決まった日には、嬉しさを抑えきれずに笑を零しながら札幌まで行き、ローカル雑誌に乗っていた一番高いであろう、そして技術もお墨付きである美容室で、18年間黒かった髪を栗色に染め、胸下まであった長さを整え、パーマをかけて、女性らしく、大学生らしい初々しさを弾ませるようなふわりと広がる髪型に仕上げた。





「やりたいことリスト」の制作を始めたのは、高校を卒業してからだ。

きっかけは当時ネットで流行っており、他人の夢を見るのが楽しくて、真似て自分も書き出した。

 

書いたら夢が叶うとか、ノートの力だの啓発的なものは信じていなかったけれど、書き始めてみたら以外にも自分は強欲なんだということに気づかされた。女だから欲深いのか、今まで田舎にいて流行というものから隔離されていた反動なのか。理由はわからないけれど、”やってみたい100のリスト”はあっという間に埋まった。

 

欲しい物、やってみたい事がありすぎて、いくらお金があれば足りるのかと考えて落胆したほどである。

 

 

努力をしたから田舎から東京に行けたという経験が自信になって、リストを消化するための努力もまた、当時の自分には楽しかった記憶がある。

 

もちろん、規模が大きすぎて達成出来ていない物の方が多い。

まぁ夢は書くだけ自由なのだから。

 

 

□ウユニ塩湖を見に行く

 

□シンデレラ城の前で告白される

 

□アーティストのバックダンサーとしてテレビに出る

(大学から始めただけでは実力不足だった)

 

 

生きてるうちにやってみたい。

上記にある夢への熱は、今だひそかに持っている。

もちろん、リストの中身はこんな現実離れしたものばかりではなく、

 

□4キロ痩せる

 

□成績でAを死守する

 

□料理のレシピを今月は10品増やす

(学食よりお弁当派だった)

 

□バイト先の先輩に今週こそアドレスを聞く

(当時好きだった人、なかなかシフトが被らなかったので)

 

□各、東京23区の主要カフェに行き尽す

(友人が住んでいたりする地域には遊びに行くついでに廻った)

 

□自転車で新宿からお台場まで走ってみる

 

 

など。学生生活が少しでも楽しくなるようなちょっとした事。

でも成し遂げれば次は大きなものに繋がるもの。

 

事実、毎日作っていたお弁当のおかげで”料理が出来る子”とイメージがついて、ゼミ合宿や合コンでも役立ったし、先輩に勇気を出して話しかけてからはトントン拍子に事が進み、付き合う事になった。

 

 

 

別れたのはいつだっけ…

 

そう遠くない過去を思い出そうと、由実はトーストを齧りながら、まだ開けていない段ボールを見つめながら考えた。

 

 

そうだ、先輩が卒業したちょっと後だ。

 

東京の会社に就職した先輩と、東京の学校に通う自分。

物理的な距離なんかないのに何故か新しい事が始まる季節を理由にフラれたんだった。当時は納得がいかなかったけれど、今となっては十分に理解が出来る。呑気な学生って、働き始めた人にとったらやっぱり邪魔だ。

 

 

 

 

 

 

 

青山に引っ越してきたのは、前職の薬品メーカーの営業から、全く異なる業界であるファッション関係の小売商社へと転職したのがきっかけだ。

 

社会人になってからは、やりたいことばかり増えて行き消化が追いつかない。出来ても行きたい場所を設定し、年2回の連休で足を運んだり、テレビや雑誌で見た美味しい食事をお取り寄せて味わう程度。

 

秋田から取り寄せた自家製酵母の食パンに、ドイツへ行ってきた友人がお土産にくれた薔薇のジャムをたっぷり添えて食べた時も、ノートのリストにチェックを付けたっけ。

 

 

 

 

28歳の女子がやりたい事、なんだろう。

 

 

 

婚活して、申し分のない男性と結婚…高収入はもちろん望みたい。

 

次の社内で良い独身男性はいるだろうか。

 

そういえば、同級生だったあの子は役職についたっていってたな、なんだっけ。

 

次の会社で結果を出せば、私も年齢に見合った肩書は得られるかな。

 

そうだ、姪っ子の誕生日が今月末だ。

 

 

 

大きな夢を一つ考えると、小さな夢がおまけに付いてきて現実に戻される。

夢は、目の前のやるべき事を明瞭にさせる材料なだけなのかもしれない、ふと由実は思った。

 

 

 

「目の前の、やるべき事…」

 

食べ終えたパンの甘さが口の中に残っている。

生ぬるい甘さを一緒に吐き出すようにして呟いた。

 

 

せっかく青山に来たんだ。何か新しい夢をリストに加えよう。

ノートを開いてボールペンを握る。思考が少しばかり停止する。いつもいつも、簡単に思いつくわけでは無いのだ。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

夢が自分の欲求ならば、今の私を満たすべきやりたい事リストはこれだ。

 

”美味しい定食屋を見つける”

 

正確に言うと、直近1カ月以内に仕事帰りに何度通っても飽きない、母親の味がする定食屋。

 

自分で料理をしたくない日に気持ちが楽になれる居場所を見つけよう。

なんだか現実的で、大人になるってこういう事なのかな、と一人納得して由美はノートを閉じた。これが高校の頃だったら…あぁ、でもやっぱり変わらないのかも。だって、カフェ巡りとか書いてたし。

 

今日の夜は外に出よう、お気に入りの店を見つけるために。

リストに、また一つチェックマークを入れるために。

 

 

 

 

 

 

福寿 美織